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初代学长 丹羽保次郎绍介

初代学長 丹羽保次郎

本学の教育?研究の理念を創られた东京电机大学初代学長 丹羽保次郎先生は、ファックスの生みの親としてもその名を知られています。丹羽保次郎先生と「技術は人なり」についてご紹介します。

プロフィール

1893年 叁重県生まれ。
1916年 东京帝国大学工科大学电気工学科卒业。逓信省电気试験所、日本电気株式会社に勤务。
1924年 欧米を视察し帰国后、写真电送の研究に取り组み有线写真电送装置を発明した。日本初の写真电送装置(ファクシミリ)として、昭和天皇即位式のニュース写真の电送に用いられ优れた成绩を上げ、世界で広く普及。さらに无线写真电送の研究に着手。
1929年 东京?伊东间で日本初の长距离无线写真电送の実験に成功。
1949年 东京电机大学の初代学長に就任。
1955年 (社)テレビジョン学会初代会长。
1957年 IRE(米国無線学会)副会長。 ※IREはIEEE(米国電気電子学会)の前身のひとつ。
IEEE 東京支部 支部長。
1959年 文化勲章、1971年に勲一等瑞宝章を授与される。
1985年 日本の十大発明家に数えられる。

「技术は人なり」ということ

文学でも美术でも、その作品の优秀性を决定する要素に作者の构想が、多分に盛られるものです。しかしながら科学や技术では、すべてが一元的に决定され、设计者や研究者の构想をいれる余地がないように思われがちであります。

しかし実际はそうではなくて、やはり技术者の构想を要するところが多いのであります。なるほど技术は自然界の法则に支配され、因果の関係の明らかな科学を基としているのですが、技术は総合的なもので、决して単纯なものではありません。

技术を构成するいろいろな要素には、それぞれの自然法则が応用されるのでありますが、これを构成して大きな総合技术を完成するには、技术者の构想を多分に必要とするのであります。この意味において、技术は技术者の构想の现われであります。个人の性格を国家として巨视的に见るとき、国民性というものが生まれてきます。したがって各国の技术を観察しますのに、その国民性が多分にあらわれているのであります。

たとえば建筑の性格が、各国のその时代の国民性をよく现わしていることはいうまでもありませんが、これを个人に见ても、同じ建筑家の设计になるものは、どれもその中に建筑家の构想があらわれているのです。私はその性格を熟知している技术者が设计した无线机を见ますとき、その设计のところどころに、実にその技术者らしい个性のあらわれたすがたを多分に认めることを経験しているのであります。

工作についても同じことがいえます。円満な人格を持った技术者によって作られた製品は、実によくできていますが、仕事に不热心な人の製品には、多くの欠陥があります。
要するに、私は技术も文学や美术と同じく、やはり人が根干をなすものであることを申し述べたいのであります。すなわち「技术は人なり」といいうるのです。立派な技术には立派な人を要するのです。よき技术者は人としても立派でなければならないのです。ですから技术者になる前に「人」にならなければなりません。技术者は常に人格の陶冶を必要とするのです。

かく技术は技术者の人格のあらわれであり、精魂の结晶でありとするならば、いかなる技术製品もこれが単なる金属の集合であり、机构の组合わせであると见ることはできないのです。すなわち工作机械にしろ、电気机械にしろ、なんでもその中に技术者の精神がこもっているのです。単に设计ばかりでなく、その製作に当たっても、工员の精神がその一つ一つにこもってできあがっているのです。またそういう製品でなければ、立派な技术製品ではないのです。

これは机械を设计し製作する方面のみでなく、これを使用する侧においても同様であります。若き技术者诸君は、今后いろいろの机械を取扱われるとき、この机械には、多くの技术者や労务者の精神がこもっているのだ、ということを思い起こしていただきたいのです。かく考えることによって、诸君は立派にその机械を使いこなすこともでき、また机械も十二分の性能を発挥しうるのであります。

私はかつて一工员の告白を闻いたことがあります。この工员は最初与えられた机械をまったく机械として取扱い、职长に教えられたとおりにやってみましたが、なかなか思うように动きませんでした。そのうちに自らいろいろ考えて工夫しました。それは今まで自分は机械を使う心组みで取扱ってきたが、こんどから机械と同体になってやってみようと思い立って仕事をやったというのです。そうすると、こんどは机械の故障は少なくなって能率はあがる、仕事はおもしろいくらいできる。それに腕は上达して、暂くの间に立派な熟练工になったというのです。最近私は技能オリンピックで优胜した工员からも、同じような话をききました。

このように、机械と同体になった心组みで仕事をするという心がまえは、精神を打ち込むということにほかならないのです。私は诸君が将来机械を取扱われるとき、このような気持で仕事をしてもらいたいと思います。かかる精神を持って机械に対し、しかも精魂をこめて作り上げてこそ、本当にすぐれた製品が生まれるのです。
私はこのごろよく「全力投球」という言叶をききます。私のすきな新语です。技术者は研究でも设计でも、工作でもいつも「全力投球」の覚悟をもってあたってもらいたいと思います。

(丹羽保次郎着『若き技术者に赠る』より)

贵础齿开発物语

最初のファックスは昭和天皇

写真电送装置を発明した顷の丹羽保次郎先生写真电送装置を発明した顷の丹羽保次郎先生

1928年、新闻各社は、京都で行われる昭和天皇の即位式である大仪礼をいかに早く东京に伝えられるか、特に天皇の写真をどう伝送するか悩んでいました。

その中で朝日新闻社はヨーロッパで试作?実用が进んでいた写真电送机のなかでドイツのコルン式を採用。一方、大阪毎日新闻社はフランスのベラン式を採用しましたが、テストで思うような画像が送れません。そこで同社はベラン式をあきらめ、まだ无名だった日本电気の丹羽保次郎が开発した狈贰式写真电送机を採用することを决定。欧米からの技术导入が中心だった当时、日本の技术を採用するのは大きな赌けでもありました。

11月6日、天皇を乗せた马车が京都で行われる大仪礼に向け皇居を出発。丹羽保次郎は、まずこの写真の大阪伝送に成功。そして翌日行われた京都での大仪礼も见事、东京伝送を成功させました。これをきっかけに日本の写真电送机は世界で认められるようになり、现在世界中で使われているファックスとなりました。

日本の十大発明家

特许庁が、日本の工业所有権制度が昭和60年4月18日で百年経ったのを机に、歴史的な発明者の中から10名を选定したもので、特许庁ロビーにレリーフが饰られています。

  日本の十大発明家 発明?考案内容
1 豊田 佐吉(1867~1930) 特許第1195号 木製人力織機
2 御木本 幸吉(1858~1954) 特許第2670号 養殖真珠
3 高峰 譲吉(1854~1922) 特許第4785号 アドレナリン
4 池田 菊苗(1864~1936) 特許第14805号 グルタミン酸ソーダ
5 鈴木 梅太郎(1874~1943) 特許第20785号 ビタミンB1
6 杉本 京太(1882~1972) 特許第27877号 邦文タイプライター
7 本多 光太郎(1870~1954) 特許第32234号 KS鋼
8 八木 秀次(1886~1976) 特許第69115号 八木アンテナ
9 丹羽 保次郎(1893~1975) 特許第84722号 写真電送方式
10 三島 徳七(1893~1975) 特許第96371号 MK磁石鋼

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